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【釘づけ】映画 JOKER |アーサーは物書きになるべき。コメディアンは不向き

こんにちは。

この記事では、

【映画】JOKERをご紹介します。

いや、ヘビーな映画だった。。

なんとなく、映画「TAXI DRIVER」を彷彿とさせる。くしくもロバート・デ・ニーロも出演している。

【本記事の内容】
●アーサーの苦悩は、僕らの人生の苦悩そのもの
●映画【JOKER】その映像美と音楽がサイコー
●アーサーは物書きになるべき【コメディアンは不向き】

✅アーサーの苦悩は、僕らの人生の苦悩そのもの

何がハッピーだ。幸せなど一度もなかった。

主人公アーサー・フレックの言葉。

40過ぎの僕は、あれじゃそりゃそうだよなと思う。あの状況で「どんな時でも笑顔で」なんて言う大人がいるとしたら、それはただのきれいごとであり「たわ言」だ。

まず言ってる本人ができないと思う。

なにもアーサーの行動を正当化しようって訳じゃない。「あんなこと、してはいけない」なんて言う気はもっとない。そんなこと、書く意味がないから。

劇中、ただただ愛がない。

バスの中で男の子を笑わせようとしたアーサーへのあのオバちゃんの態度、ひどくねえか。あんなん言わんでええやん

ハグしてほしいだけなのに、どうして、みんな僕を邪険にする(アーサー・フレック)

ほんと、そうだよな。。

アーサーは心優しい男だ。コメディアンになるのが夢だった。憧れは、大好きなTVショーの司会者、マレー・フランクリン。

なのに、なのに、

唯一の心のよりどころだったマレーにさえコケにされる。彼の横で脚光をあびる姿まで夢みていたのに。。マジでもうやめてあげて、と言いたくなる。

でも、それが現実だ。

ついに、アーサーはJOKERへと変わっていく。ある意味「心」が解放されていく。その様が鮮烈に描かれている。

今までは、存在していないも同じだった。

この言葉が、JOKERを象徴している。

✅映画【JOKER】その映像美と音楽がサイコー

映画【JOKER】は、その映像美と音楽がサイコーです。

こういった類の映画って、BGMは暗くて重~いことが多いけど、この映画は違う。ノリノリ。エンディングのフランク・シナトラの「ザッツ・ライフ」、サイコーだった。

物語の内容とBGMのコントラストが抜群にきいている。

映像の「色味」もサイコーで、一コマ一コマがまさに「映える」。まるで、写真家がとった写真をつなげて、一つの映画にしたようなクオリティ。絵葉書とかになりそう。

ワンシーンを切り取って、額に入れて部屋に掛けたいほどにカッコいい。

✅アーサーは物書きになるべき【コメディアンは不向き】

アーサーは、コメディアンには不向きだ。

正直、笑えない。

劇中、「ノック、ノック」で始まるジョークがあったけど、あれのどこがおもしろいのか分からない。ある意味、マレー・フランクリンは正しい。

必死に向いてない職業を目指すからうまくいかない。そして、苦しむ。さらに生活苦。まさに負のスパイラル。

アーサーは物書きになったら、どうだっただろう。

突発的に笑ってしまう病気のこと。心に負った傷。その日のクソだった出来事なんかを洗いざらい吐き出して、どう感じたのか、心をどう落ちつかせたのか、どう保っているのか。翌日もまたサイテーの一日だったのか。穏やかな気持ちになる時はあるのか、それはどんな時なのかを綴る。

それを読んで救われる人は必ずいる。共感する人ならもっといる。

それには、価値がある。

共鳴する本当の仲間や友だちだってできるかもしれない。そして、それで「売れたら」どうだろう。

自分が書いたもので人が救われ、アーサー本人の生活も豊かになる。アーサー自身がハッピーになり、生活が安定したら今度はボランティアとして、ピエロで病気の子供たちを楽しませたらどうだろう。

子供たちが喜ぶ→アーサーもハッピー。正のスパイラル。

それってアプローチは違っても、目指していた「コメディアンでの成功」と同じじゃないだろうか。

アーサー、現代ならブログがあるんだけどな。。

✅それでは、予告編をどうぞ

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